畜産の日本一へ

私は日本一を目指しています。

肥育業を始めて35年になります。1頭からのスタートでした。

ある日軽トラックで都城市を走行中、警察の方に「こんなボロ車で町に出てくるな。」と叱責を受けました。当時私が乗っていた軽トラックは運転席の下に穴が空いており、水溜まりを走行するときは足を上げて運転していました。そんな状況の中、会社の運営資金を作るために「家畜商」として必死に走り回っていました。

初めは2頭売りその売上を基に4頭を購入。4頭を売り8頭を買う。と順調に増頭していきました。飼養頭数1200頭を過ぎた頃、平成22年に宮崎県高岡町で口蹄疫が発生、牛が暴落し、宮崎県の畜産業界は多大なる被害を受けました。私も口蹄疫に苦しみ、畜産業への不安もありましたが、ここで負けてたまるかとの思いから奮起し、がむしゃらに働きました。この頃の頑張りや人との縁が今の内田畜産グループの基礎になりました。感謝しています。

私の内田畜産への想い。
弊社には素晴らしいスタッフが集まっています。みんなやる気満々です。とても有り難く、感謝しています。

子育て世代のスタッフが安心して仕事に専念出来るよう、弊社では配偶者手当や子ども手当等に力を入れております。
スタッフは家族です。スタッフの家族も大事にしていきます。

スタッフの会社愛に応えるため、私がスタッフへ出来ることを常に考えます。その一つが設備投資です。より良い環境で仕事をしてもらいたいです。
内田畜産グループから社会を明るくしていきます。


スタッフみんなで力を合わせて頑張るぞ!
「牛好き!集まれ!!」

株式会社 内田畜産代表取締役内田次義
 
肉牛の一番を目指して

内田畜産の誕生は、私の誕生と共にあります。

私は、家畜商の父と酪農家の母の元に1982年に生まれました。その当時は家畜商の父が、下取りしたホルスタイン廃用牛の乳を搾っていたそうです。私が誕生し、内田の家へ帰ってくると、ホルスタインは全て売却し酪農家をやめ、肥育業を始めました。1982年、肥育業「内田畜産」が誕生した瞬間でした。

私も小さい時から、父が市場・農家などへ出向くトラックへ乗ってついて行くのが楽しみでした。その当時は貧しく、家族5人プレハブに住んでいて、台風がくると家畜トラックにプレハブを括り付け飛ばされないようにしていたことを思い出します。父母はどちらの実家も牛の仕事をしており、祖父はうちの牧場に遊びにくると頭数を数え、「牛が増えたね」と嬉しそうに話していました。祖父の嬉しそうな顔、父母の働く姿を身近に見ていた当時から、自然と父母と一緒に牛の仕事をしたいと思うようになりました。

私は都城農業高校を卒業後、群馬県にある全国食肉学校に進学し、20歳で京都モリタ屋に就職し5年間牛肉の修行をさせていただきました。
25歳で就農したときに決めたことがあります。それは、「お肉ではなく生きてる牛で肉牛1番を目指す」。グループ理念の「牛と生きる」です。

現在、『内田畜産』・『大畜』・『ランズ』の3法人があります。
それぞれの特徴として、内田畜産「和牛肥育」、 大畜「交雑牛肥育」、ランズ「和牛繁殖」です。

内田畜産グループの未来。それは繁殖から肥育、そしてその先まで…。肉牛に対して全ての事ができる事。特にランズは、今後の畜産ビジネスモデルとして活躍していく会社です。我々若い世代が先頭に立ち、新しいやり方で子牛生産販売を拡大していきます。

株式会社 ランズ・株式会社 大畜代表取締役内田大樹